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#1

また消えた?

#1678

アメリカに来たばかりの日本人、アメリカディスルけど
貧乏が来る国じゃないからね〜

#1679

今は貧乏が来る国じゃないからね〜かもしれませんが
大昔は日本人は自分の故郷を捨てて出稼ぎにきたのでは、鹿児島、広島、九州その他もろもろ
いまでも県人会のピクニックしてるけど時代が変わる若い子は興味ない。

#1680

調べてみたら、日本人が自分の故郷を捨ててアメリカへ移民したのは、明治時代から始まりました。最初の日系移民は、1877年に戊辰戦争に敗れた会津藩の侍や農民など22人で、ヘンリー・シュネルという武器商人に率いられてカリフォルニア州に入植しました1。しかし、この若松コロニーは2年で崩壊し、移民団の一部は日本に帰国し、一部は他の地域に散らばりました。
その後、1884年に明治政府が海外渡航を正式に許可すると、
その後、1884年に明治政府が海外渡航を正式に許可すると、日本からの移民が増加しました3。多くの日本人は農業や工業などで労働者として働きましたが、人種差別や法的制限に直面しました。例えば、1913年にカリフォルニア州では外国人土地法が制定され、帰化不能外国人(当時の日本人を含む)の土地所有が禁止されました4。また、1924年には移民法が改正され、日本からの移民が事実上全面禁止になりました5。

第二次世界大戦中には、日本とアメリカが敵対することになり、西海岸に住む約12万人の日系人は強制収容所に送られるという悲劇が起きました。戦後、日系人は社会的地位や経済的損失を取り戻すために苦闘しました。1952年には移民国籍法が制定され、一世も市民権を取得できるようになりました。1965年には移民法が再び改正され、日本を含むアジアからの移民が可能となりました。

現在、アメリカでは約120万人の日系アメリカ人が暮らしており、多様な分野で活躍しています。彼らは自分たちのルーツを忘れずに、アメリカ社会への貢献を続けています。

#1681

ハワイの空港の名前になるほどアメリカに貢献したダニエル井上さんが日系人で一番活躍した人じゃないでしょうか。

#1682

ポテトキングとヨバレタ日本人とは、牛島謹爾(うしじまきんじ)という人物のことです。彼は明治時代にアメリカに渡り、ジャガイモの大農園を築き上げて成功しました。彼は日本人移民のためにも多くの活動を行い、勲四等旭日小綬章を受章しました1。

牛島謹爾は1864年に福岡県久留米市に生まれました。東京で漢学や商業を学んだ後、1888年にアメリカに渡りました。サンフランシスコで英語を学びながら働いた後、カリフォルニア州の荒地を借りてジャガイモとタマネギの栽培を始めました.
1926年、牛島謹爾は日本へ帰国する途中、ロサンゼルスで脳溢血で亡くなりました1。彼の死後、その功績に対して勲四等旭日小綬章が追贈されました1。彼はアメリカで「ポテトキング」と呼ばれながらも、日本人としての心を忘れなかった人物として記憶されています.

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